2022/12/13 17:14
皆様こんにちは。今回のブログは前回
(ベンリー技研代表 山下具了85歳の挑戦、その先の夢へ (第1章)青年期~定年まで)の続きで、定年後からベンリー技研の前身「みなみの里」立ち上げまでをまとめました
形式は前回と同様Qは私(田辺)Aは代表の山下になります
それでは山下社長への取材を始めて参ります!!
Q.社長。早速ですが前回の続きからのインタビュー始めさせて頂きますね。よろしくお願いします
A.よろしくね~。でも、前回のもそうだけど、あたしの話をまとめて、見てくれる人はいたの?
Q.わりと好評でしたよ(笑)そうじゃなかったらわざわざ二回目をしませんよ(笑)
A.ならいいんだけどね。。前回はどこまで話したかな?
Q.前回はリフォームの会社を閉めたとこまでですね。
今日はその後のお話を聞きたいです
A.その後か~。リフォームの会社を終えた後も色々な事に手を出したけど、本格的にしたのは焼き芋屋さんだったね
Q.また前職とはまったく違うお仕事に手を出しましたね。何故に焼き芋屋さんだったんですか?
A.元々はあたしが始めたんじゃないんだよね。始めは焼き芋屋さんのお店を作って欲しいって依頼だったの
Q.なるほど。前職、リフォーム会社の頃の名残ですね。でも、何故社長自身がそのお店をやることになったんですか?
A.話すと長くなるよ?始まりは20代の若社長からの依頼だったの。
その人は名古屋の方で焼き芋屋さんをする気だったらしくってね、その為の店舗作りを依頼されたの。
でも、その内容が無茶でね~。一畳分のスペースで店舗を作ってくれって。
Q.一畳ですか?それだとさすがに狭い気がしますけどね?
A.その通りだよ。考えてごらん。1畳のスペースに焼き芋を焼く機械、それに売り場と保管場所を作ったら、もう本人の動く隙間がないよ。
Q.ですよね~。それで社長はなんて言ったんですか?
A.今言ったことをそのまま言ったよ。それでもなかなか考えが変わらなくてね。
棟梁と二人で粘り強く説得して、最後には1.5畳の広さにして良いとの許可をもらったよ
Q.それでも0.5畳しか増やさなかったんですね。その後、その焼き芋屋さんはどうなったんですか?
A.うん。名古屋のスーパーの駐車場で店舗を出すって話だったんだけど、そのスーパーとの契約が上手くいかなかったみたいでね。
結局そのスーパーとの契約が上手くいかなかったみたいでね。
それでもその社長さんは諦めずに、今度は鹿児島のほうで出店できる場所を探してね。
Q.それは災難でしたね。それで鹿児島での出店場所はみつかったんですか?
A.どうにかみつかったよ。あたしも関わったからには放っておけないから、知り合いに口利
きして、その中で大きな工場の社長をやってる知り合いがいてね、そこの社長さんにお願
いして駐車場に店舗を設置させてもらったの。
Q.なるほど。じゃあこれで一安心ってところですね?
A.それがそうはいかなかったのよ。
今度は従業員が見つからなくってね。従業員がはいってもなかなか居つかず、従業員がい
ないからお客さんをさばけない、結果売り上げが上がらなかったみたいでね
最後はあたしへの支払いが出来なくてね。だから支払いはいいから、作った店舗はあたし
がもらうって言ってそのまま回収してね。そのまま店舗を置いとくわけにもいかないか
ら、あたしが自分で焼き芋屋さんを始めたのよ。
Q.料金の回収を諦めて、ご自身で焼き芋屋さんを!?思い切りましたね。。
でも前任者がダメだったのに、社長が行った焼き芋屋さんは軌道には乗ったんですか?
A.
それが思ったよりうまくいってね。っていうのも作った店舗ではさすがに狭かったから、
その店舗は物置にして、販売用の店舗を追加で作ったの。
Q.なるほど。しかし思い切った事をしましたね。
A.昔の人間だから物を無駄にするのが嫌でね。だからその店舗もどうにか活用したくてね。
それにやってみたら思いのほか楽しくてね。始める時は講習を受けたり、仕入先を探したりしてね。
でも、やっぱり当初は売れなくてね。大きな声で歩行者に声かけしたり、知り合いにお願いして口コミで広げてもらったり色々試したよ。
Q.その努力が実って売り上げが伸びたのですか?
A.少しは伸びたけど、やっぱり頭打ちでね。。
どうにかしようと考えて思いついたのが、今の桜島溶岩ボールだったんだよ。
その頃はまだ加工をしてない原石のままだったんだけど、桜島の溶岩をつかって焼き芋を焼いてみたんだよ。
そうしたら味がまったく違ってね。味は甘くて濃厚だし、食感も今までと違い、ほくほくでしっとり、ねっとりとした舌触りになったの。
Q.なるほど。その頃から桜島溶岩を使った事業を行ってたんですね。
そういえば以前にたこ焼き屋、たい焼きのお店もしてたと聞きましたが、それはどの時期なんですか?
A.
あ~。そういえば前に話したね。まだ桜島の溶岩を使う前、なかなか売り上げが伸びな
い時期に始めてみたんだよね。
実はうちの女房の姉が飲食店を経営していてね。そこで使っていた機材を譲ってもらって始めたの。ただ素人考えだからね。たこ焼きの方はタコを大きくして、それをウリにしたら人気は出たけど採算があわなくてね。たい焼きの方はそこまで人気が出なくてね
Q.なるほど。そういった経緯があったんですね。しかしそれだけ手広くやって、お客様も多くいらしたら、借りていた会社の駐車場ではいろいろと問題があったのではないですか?
A.まさにそうだったんだよね。駐車場に会社と関係のない人間が大挙して来るもんだから、そこの社長さんからどうにかしてくれって言われてしまってね。
だから結局その駐車場から撤退して、ゆーとぴあさんの敷地で心機一転始めたのよ。
Q.ゆーとぴあさんって、オッスクンの組み立てをお願いしているゆーとぴあさんですか!?
A.そう。そのゆーとぴあさん。
あそこの所長とは昔からの知り合いで、色々と相談してたのよ。そうしたら、うちにおいでよと鶴の一声でね。あっさり決まっちゃってね。
Q.そんなに昔からゆーとぴあさんとは縁があったんですね。
でも、それだけ売れた焼き芋屋さんを何故手放してしまったんですか?
A.
今度の話も長いよ?今からしてもいいけどメモするのも大変でしょ?
いったん休憩してお茶にしようか
という分けで2章はここまでになります。
あまり一度に書き連ねても、読む方も書く方も大変なので(笑)
最後まで読んで下さった皆様ありがとうございました。
よかったら次回も読んでみて下さいね